■臼田亜浪先生五十回忌■
(平成12年11月11日)

高橋信之

 

11月11日午前10時30分から東京中野の宝仙寺で「臼田亜浪先生五十回忌」の法要と「石楠」同信物故者の供養があり、正子が私の代理で出席する。

私の師系と言えば、臼田亜浪、川本臥風となる。私の先生の先生が臼田亜浪なのである。臼田亜浪の「石楠」は、ホトトギス系と見なされているが、正確には、有季定型と自由律の中間派である。「石楠」を知る人は、少ないが、かって、川本臥風の教え子の篠原梵、八木絵馬、西垣脩等が俳壇で活躍、現俳人協会会長松崎鉄之介も石楠系である。

 

(以下の文は、「愛媛新聞/昭和43414日」からの転載)

 

郭公や何処までゆかば人に逢はむ 亜浪

 

この句を口ずさむと、漂白の日々を送る旅人の心がひしひしと胸に迫ってくる。おそらく山道をひとり歩いていたのであろう。郭公が背に鋭く鳴き続ける。その声は、切れ目があって、はかない一瞬を強く印象付ける。瞬間の印象が強ければ強いほど、旅人の長い道は、さらに長く果てしないものに思えてくるのである。この句はまた、「真」を求めた亜浪の人生の旅を思い起こし、深い感動を呼びおこしてくれるのである。

 

亜浪忌に参列して

高橋正子

 

11月11日は、臼田亜浪の忌日でした。亜浪先生の忌と、「石楠」物故者の供養があり、主宰に代わって法要に参列し、墓参を済ませて帰りました。亜浪先生のお墓は,中野区の宝仙寺にあり、新宿からもそう遠くはないところです。よいお天気に恵まれ、川本臥風先生、亜浪先生も心からお喜び下さったのではと思います。俳人協会長の松崎鉄之助氏に、お参りのご指示を受けてお祈りしてまいりました。50回忌の法要ということで、大きな区切りを感じました。これからの水煙の活動を、生き生きとしたものに、そして安寧をを与えてくださることを祈念いたしました。亜浪忌に参列してのご挨拶といたします。

 

[俳句]

 

亜浪先生逝去

この冬空の下のどこにも先生亡し/川本臥風(昭和26年作)

 

十二月六日、川本臥風先生逝く

先生が居ない乾いた風の吹く師走/高橋信之(昭和57年作)

 

■平成12年亜浪忌■

 

亜浪忌の空の曇っている下に

先生の先生が居て冬の空

高橋信之

 

亜浪忌の柱丹の色読経の間も
亜浪忌の墓碑の「亜浪」の字に見覚え
亜浪忌の亜浪の墓に莢もつ木

高橋正子

 

顔知らぬ我も黙祷亜浪の忌

水鳥の楚々として翔びたつ忌日
献詠は紅葉明かりの寺にかな

野田ゆたか

 

亜浪忌や十万アクセス目前に
百方の光の波動亜浪忌過ぐ
連綿と光の粒子亜浪の忌

伊嶋高男

 

浅間嶺や信濃明るく亜浪の忌

北村ゆうじ

 

亜浪忌の満月遍照我らが上

碇 英一

 

小諸には浅間の煙り亜浪の忌
思慕深く揺れる心や亜浪の忌
亜浪忌や高き水煙に光さす

右田俊郎

 

書いて消し明るく詠まむ亜浪の忌

守屋光雅

 

臥風忌の近き亜浪忌雲割る日

旧い道少し歩いて亜浪の忌

相原弘子

 

亜浪忌や川ふくよかに大海へ
亜浪忌の迷える羊へ雨しとしと

八木孝子