詩のある句集

■川本臥風句集・中村草田男句集・西垣脩句集■


 松山で育ち、勤めも松山の大学であったので、松山出 身の俳人には、早くから親しんでいて、それらの句集の 多くを読んでいたが、私の座右にある句集は、川本臥風 の「雪嶺」、中村草田男の「長子」、西垣脩の「西垣脩 句集」の三冊である。これらの句集の著者は、いずれも 旧制松山高校の俳句雑誌「星丘」の会員であって、松山 高校は、私の勤め先の愛媛大学の前身なので、特に親し みを抱いていた。
 中村草田男の「長子」は、一九七八年十二月十五日発 行のみすず書房復刻版である。

 秋の航一大紺円盤の中  草田男

 虚子は、この句を句集の冒頭の一文で取り上げ、「印 度洋を航行して居る時」を思い起こしているが、句が大 きい。「秋の航」は、取り立てて珍しい風景ではないが 、詩人の眼があり、詩人の思いがある。詩のある俳句な のである。

 冬の水一枝の影も欺かず  草田男

 「一枝の影も欺かず」というのは、「冬の水」であっ て、また詩の心でもある。詩人草田男の内面の深い世界 であって、詩人の心は、欺いてはならない。草田男の詩 人としての厳しい姿勢を、この句に読み取ることが出来 て、嬉しい。
 川本臥風は、旧制松山高校教授で、草田男にドイツ語 を教えた。草田男の第一句集「長子」をいち早く世に紹 介したのは、松山高校俳句会の雑誌「星丘」であり、そ の編集発行人が川本臥風であった。「星丘」第四十号は 、長子特集号で、「長子」出版翌年の昭和十二年六月の 発行で、歌人の斎藤茂吉、俳人の臼田亜浪、日野草城、 水原秋櫻子、吉岡禪寺堂等の著名人が寄稿し、「長子」 の重要な資料となった。
 川本臥風の「雪嶺」は、最晩年の句集で、学問と俳句 の教え子であった私に、編集、出版のすべてが任された 。一九八三年四月一日の刊行である。

 半面に紅刷きふきのとうの球みどり 臥風
 花ござの藺の香芬々たる上に    〃
 葦原に蜻蛉の生れ青い太陽     〃

 年老いても詩人の感覚は衰えていない。滞るところが ないのである。旧制松山高校での教え子であった詩人西 垣脩は、そこのところを語って、「どんな意味でも先生 の作品には野心的な味がまるでない。しかし先生の世界 からまさに流露しているという意味で、独自のかけがえ のない芸術的香気が歴然とある。それが、今日ではむし ろ僕たちを元気づけてくれる。自分の生の問題と結びつ けて所謂主体的に句作するところに現代俳句の特徴があ るのだそうだからである。」と指摘する。
 西垣脩の「西垣脩句集」は、没後一周忌を迎える一九 七九年六月二十五日に角川書店から発行されたものであ る。

 生牡蠣の胸を落ちゆくさみしさ堪ふ 脩

 一九五三年の作であるが、この年の三月に旧制住吉中 学時代の恩師で、詩人の伊東静雄を亡くした。脩の作品 は、詩人伊東静雄と俳人川本臥風の影響が大きい。詩が あって、野心的な味がまるでないのである。そして、自 分の生の問題と結びつけて所謂主体的に句作している。

 麦笛を吹き帰城せり皆死なず    脩
 鶏頭のいのちいちづに燃えもはてむ 〃

 これら二句は、旧制松山高校時代のもので、「麦笛」 の句は、松山高校宣撫班の一員として中国華北の前線を 巡っていたときの、脩十代の作であるが、完成度が高く 、戦場での人間性を感じる。詩人としての人間性である 。「鶏頭」の句は、「生牡蠣」に共通する詩人特有の詩 情があって、私を強く惹き付ける。
 私の座右にあるのは、いずれも「詩のある句集」で、 そこから多くのことを、俳人としての、そして人間とし ての在り方を学んだが、今の時代に持て囃されるのは、 「俳があって、詩のない俳句」である。この時代の流れ を作ったのは、評論家山本健吉であろうかと思う。詩人 よりも、評論家に時代の関心が寄せられてしまったので ある。時代は必ず変わるであろう。時代が変われば、私 の座右にある、あるいは、これからの時代の「詩のある 句集」に多くの人々の関心が寄せられることは、間違い ないものと思う。(2000年12月4日/高橋信之)  


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