波うつ高潮のなかに,
鳴りわたる響きのなかに,
世界の息の
吹きわたる万有のなかに──
おぽれ,
沈み──
意識なく──
至上の歓楽!
(Wagner,Tristan und lsolde)
1875年6月6日の正午に,北ドイツのリューベック市で生まれたトーマス
・マンは,幼年時代の故郷をなつかしみなから,「ブデンブローク家の人々」を
書いている。1897年10月にロ一マに滞在していたときで,22才であった
。異郷に居て,はるかな故郷に思いを馳せながら書き綴った,この長編小説は,
実は,マンの一族の没落史であって,彼が生涯を通じて最も愛着を抱いていた作
品なのである。「ブデンブローク家の人々」は,生まれ故郷の幼年時代を克明に
描き,後に発展し,完成していった,さまざまなテーマやモティーフが盛られ,
マンの膨大な作品群の起点となり,多彩な作品の生まれた母体となっているので
ある。勿論,その他のエッセイや初期の短編小説にも,リューベックの町が,生
きいきと描かれている。
マンの創作は,自伝によると,子供っぼい戯曲で始まった。(Lebensa
bris,Bd.XI,S.99)14才のトーマス・マンが,マン家の子もり
女にあてた手紙に,自作の>Aischa<という戯曲に触れて,自らを,抒情
的な,戯曲詩人と呼んでいる。(an Fflieda Harsenstei
n,Briefe T)その他に,主に親友に棒げた,若干の詩がある。アリア
の英雄的な死を扱ったロマンツェの>Paete,non dolet<などもあ
る。実科ギムナジウムの学生雑誌>Fruhlingssturm<では,哲学的な,扇動的な論説家として認められていた。こうした幼い創作は,すべてリューベック時代のもので,まだ小説は見当たらない。小説を書き始めたのは,故郷のリューベックを離れてからである。
トーマス・マンの16才のとき,51才の父が,敗血症で死亡し,母は,弟妹を連れてミュンヘンに移った。マンが,学業の結末をつけて,家族の往むミュンヘンに移ったの は,あと3ケ月足らずで,20才になるという1894年の3月である。それからのマンは,「ブデンブローク家の人々」を書き始めるまでの,わすか2年余りの歳月に,無名の作家として,数々の短編小説を仕上げている。最初の小説は,1894年10月の社会主義的自然主義雑誌>Die Gesellschaft<に発表している。
この時代の代表的短編小説は「小フリーデマン氏」で,短編としての構成かうまくまとまっており,その素材が,マンの生まれ故郷のリューベックから巧みに取りだされている。作品にあらわれる市立劇場と河は,明きらかにリューベックの町のものである。市立劇場では,ワーグナーのローエングリーンが上演され,リューベックのトラーヴェ河が,作品の重要なモティーフとなっている。ワーグナーの音楽とトラーブェ河は,フリーデマンの死を準備するのである。マンは,後年の自伝でもまた,故郷での幼年特代の楽しい思い出として,トラーヴェ河口の海と音楽を特に取りあげている。
だが,私の幼年期で一番明かるく過ごしたのは,トラーヴェミュンデでの毎年の暑中休暇の数週間であった。朝のうちは,バルト海の入江での海水浴。午後には,ほとんどまた海水浴におとらぬ情熱で愛していた保養楽堂でのひとときである。(Lebensa bris,Bd.XI,S.98)
トラーヴェミュンデの思い出は,さらに,リューベックについての講演でも触れ,海と音楽は,物語と結びついて,マンの生涯に欠くことのできぬものとなっているのである。
休暇の楽園,トラーヴェミュンデ,そこて遇ごした日々こそ,私の生涯において,疑いもなく最も幸福なときでありました。そこての海と音楽とは,私の心のなかで,観念及び感情として,たえず結び合わされておりました。物語,叙事的散文,すなわちエ一ピィク,それは,つねに私にとって,海及び音楽と緊密に結びついていた概念でありました。ある程度までは,この両者によって構成された概念でありました。(Lubeck als geistige Lebensform,Bd.XI,S.388)
海と音楽によって象徴する故郷は,「ブデンブローク家の人々」ヘもまた取り入れられ,
立ち去って(verlassen)きたもの,失なって(verlieren)
しまったもの,そして没落して(verfallen)いったものとして解釈され
るのである。故郷は,自分が生まれたところでありながら,成長した自分にとっては,難れてしまって,なくなってしまったものである。だが,やがては帰っていくべきところであって,過去の楽しい思い出と,未来の休息の安らぎが入りまじった感情を引きおこしてくれるところである。そのうえ不思議なことには,現在の生に,デモーニッシュな気力を与えてくれるところでもある。人生の生きいきとした力を与えてくれるが,まちがえば,死の世界へ落としこむ魔力をも秘めているのである。こうした故郷のイデーを,作品のなかで,象微的にとらえ,表現しているのが,海と音楽なのてある。
富裕な穀物商の没落史である「ブデンブローク家の入々」で,海のモティーフが先ず間題になるのは,物語が始まる1835年10月の新宅開きの喜びの歌においてである。近き未来にしのび寄ってくる衰退の徴さえまだ見せておらず,一家の華やかな隆昌は,絶頂に達しているかに思われる。その繁栄を象徴するのが,詩人ホフシュテーデの喜びの詩で
ある。ブデンブローク夫妻は,腕の逞しい火の神ヴルカヌス〈Vulcani
fleisige Hand)と海より生まれてきた美の女神ヴェーヌス(Ve
nus Anadyom6ne)とに譬えられている。古代人は,ヴェーヌスが
海から生まれたと伝え,地中海に,喜ばしい美の生まれてくるのを見てとってい
るのである。華やかな誕生と繁栄の美である。ところが,海は,イローニッシュ
なもので,海には,誕生の美と同時に,死の美しさがある。海から生まれて来た
ものは,やがて滅び,海へと消え去って行くのである。ギリシャの明るい海は,
美の誕生を強く印象づけるが,北ドイツの暗いバルト海は,死の美しさを訴えて
いるのである。美の女神に譬えられたエリーザベットの息子であるトーマスは
,死の数カ月前に,実務的な仕事につかれ果て,休息のために,トラーヴェミ
ュンデの海岸にでかける。トーマスが、北のバルト海に感じたのは,疾病の美で
ある。安らぎの美,誕生と繁栄を裏返しにした美である。人間か死して帰りつく
故郷といえるのである。
私は,だんだん海がなつかしくなって来た……以前は山の方が,遠く離れたところにあるので,むしろ好きだった。今てはもう行ってみる気がしない,恐ろしいような,恥かしいような気がするだろうと思うんだ。我まますぎて,不規則すぎて,込み入りすぎているからね……確かに,ひどく打ちのめされたような気持ちになってしまいそうだ。海の単調さを好むというのは,どういう性質の人間だろうか? ──しかし,この神秘な,心を痺れさすような宿命を抱いて,ひろびろと波をうねらしている海の上には,潤んだ,絶 望的な,英知の眼が,何か夢みながら,いつか昔の悲しい縺れを凝視している……健康と疾病,これかその違いだ。(Bd.I,S.671)
しっとりとした緑の崖や,狭い石ころだらけの海岸線の向うに暗くうねっているトラーヴェミュンデの海は,作品の主要なモティーフで,ショーペンハウアーの「意志と表象と
しての世界」とともに,トーマス・ブデンブロークの死への準備に使われている
。トーマスが,街頭で倒れたとき,白の革手袋をはめた手が,雪解けの水溜り
に投げだされていた。「小フリーデマン氏」の主人公が,トラーヴェ河の水ヘ,
上半身を落し込んで死んていったのを考え合わせてみると,海と死の関係を,雪
解けの水と河の水が,暗示的ではあるが,強く印象づけてくれるのである。
海のモティーフは,さらに,トーマスの息子の学校嫌いに重要な意味をもっている。
彼の顔と手は,海風に焼けた。けれども,もし避暑が彼を頑強に元気よくし,抵 抗力を益す目的のためであったとすれば,みじめな失敗であった。(Bd.I, S.636)
海に対する畏敬と海岸での孤独によって,学校嫌いになったハノ才少年は,音楽に慰めを求める。だが音楽の美には,歓喜と没落への意志が含まれていた。ワーグナーの「ローエングリーン」を,戦慄と陶酔に充たされながら聞くが,それが終わると激しい絶望へ落ち込むのである。
そして遂に終わりがやって来た。歌声に充ちている,眩しいような幸福は,沈黙し,消え失せてしまった,彼は,熱っぽい頭を抱えて,再び彼の部屋へ帰って来た。そして,ほんの数時間眠ると,またあの灰色の平日がやって来るのだということを悟ったのだった。 すると,彼がこれまでよく知り抜いている,あの全くがっかりした気持ちが突然起って来た。彼は再び,美がどんなに心に病いを与えるものか,また,どんなに深く差恥と絶望的な憧憬の深淵に突き落として,日常生活に対する勇気と能力を失くしてしまうものかを,痛感したのだった。(Bd.I,S.702)
音楽は,海のモティーフとともに,没落の美を奏でているのである。このモティーフは ,やがてハノオがチブスで死ぬのを準備しているのである。こうした音楽の危険な一面をよく伝えているのに,晩年のマンのワシントンでの講演である「ドイツとドイツ人」かある。
音楽は,デモーニッシュな領域であります。偉大なキリスト者,ゼーレン・キェルケゴールは,モーツァルトのドン・ジュアンに関ずる悲痛な熱狂的な論文において,そのことを極めて説得力豊かに詳説しております。音楽はマイナスの記号をもつキリスト教的芸術であります。音楽は計算されつくした秩序であるとともに,魔を呼び出す,呪術的な身振りに富んだ,カーオスをはらむ反理性であり,数の魔術,全芸術の中で現実から最も遠い芸術であるとともに,最も情熱的な芸術であり,抽象的にして、神秘的であります。(Deuschland und die Deutschen,Bd.XI,S.1131)
「ブデンブローク家の人々」は,これまで述べてきたところでは,二重の意味で,生まれ故郷の没落史である。ブデンブローク家の没落史であるとともに,マン家の没落をも物語っているのである。物語は,さらに三重の意味をもち,時代の没落史となっている。マンの時代を生み出した19世紀の没落史である。物語は,1835年10月の新宅祝いに始まり,1877年秋のハノオの死で結んでいて,19世紀中葉の42年間の出来事を取り扱っている。作者は,1875年生まれで,幼年期の出来事を,作品に盛り込んでいるので,この作品は,1875年から,作品成立の1900年に至るまでの時代をも取り扱っていることになる。従って「ブデンブローク家の人々」,は1835年から1900年までの19世紀の没落史を物語っているのである。
1835年といえぱ,ゲーテの死後わずか三年足らずで,1900年は,二一チェの亡くなった年である。ゲーテの死は,よく言われるように芸術時代の終わりを象徴的に告げている。1830年のパリ7月革命を頂点とする社会革命が,ョーロッパ全土を激しく揺り動かし,ドィツ史では,特に30年代と40年代が3月前期(Vormarz)といわ
れ,ドイツの政治社会上の激動期である。自然科学め急速な発達は,18世紀中
頃のイギリスに産業車命を引き起し,やがてそれは19世紀に入って全ヨーロッ
パに拡大してゆくのである。自然科学と経済の急激な変動は,時代が進むと,マ
ルクスの理論を生み,1848年の「共産党宣言」による革命党の結成にまで至
るのである。時代の流れは,科学に支配されることを望み,経済的物質的進歩は
,めざましいものでありながら,一方では精神の不毛が次第に顕著になり,世紀
末が近くなるにつれて,人間の心はますます不安な状態へ追いやられ,もはやキ
リスト教はかっての力を失って,ショーペンハウアーの「意志と表象としての世
界」が,19世紀後半のヨーロッパに大きな影響を与えるのである。この書は,
1819年に世にでて,ゲーテも手にしているが,ゲーテの生きていた芸術時代
には間題にされず,30年余りの時を経たのちに,はじめて時代風潮に迎えられ
たのである。
「意志と表象としての世界」は,すでに指摘しているように,ブデンブローク家のトーマスの死の準備に使われ,トーマスを,心の根底から激しく揺り動かす哲学である。若き日のトーマス・マンもまた,憑かれたように読み耽り,その感動をそのまま物語の主人公の心を通して述べでいる。その事情を,60才に近くなったマンは,ワーグナー論のなかで明らかにしている。
>意志と表象としての世界< ──なんと多くの追憶か湧き上ってくることか! わが若き日の精神の陶酔,あふれる感謝と憂愁をはらんだ幸福感。世界を裁断し,世界を整えるこの書と,ワーグナーの作品との結びつきを心に浮べながら……。長編小説に,市民的主人公のショーペンハウァー体験を次のように書きしるした。≫初めての大きな感謝したいような満足が彼を充たした。彼は,恐ろしく優秀な頭脳が如何に人生を,この非常に強靭な残酷な嘲笑的な人生を征服して,これを矯め,これを裁決するかを見て類のない喜びを覚えた……人生の冷酷と無情の前に常に恥かしい思いで良心を痛めながら,自己の苦悩をひた隠して来て,突如偉大なる賢者の手から,この世界に苦悩する基本的な厳粛な権能を与えられる,そうした苦悩者のこれは喜びだった──可能な世界のうちで最上のこの世界,それが総ての可能な世界のうちで最悪のものであると,今や遊戯的な嘲笑をもって証明 されたのだった。≪(Leiden und Grosse Richard Wagners,Bd.IX,S.397)
マルクス・エンゲルスとは,別な道を進んだショーペンハウアーは,ワーグナーという後継者を得て,彼の哲学が具体化される。二ーチェは,ワーグナーの芸術とショーペンハウアーの哲学を生の真の指導者だと言っている。(Nietzsches Philosophie,Bd.IX,S.680)二ーチェは,勿論イロー二ッシュな自己克服の意味で言っているのである。ショーペンハウアーの哲学は,死を通って生へ至る克服の意志としてとらえられている。その意味で,ワーグナーが,ショーペンハウアーの哲学を,音楽によって具体化するのである。マンのワーグナー論は,「トリスタンとイゾルデ」における死の問題に触れて,終極的には生の意志である憧憬のモティーフを強調している。
この神秘劇の第二幕の初めに,松明が消されると,オーケストラが死のモティーフを強調する,また,恋人たちが「その時でさえ私は世界」と陶酔して叫ぶとき,心理的に,また形而上学的に描く音楽の深みから,憧憬のモティーフが聞こえてくる──これがショーペンハウアーでないであろうか?(Leiden und Grosse Richard Wagners,Bd.IX,S.401)
ニーチェの影響を深く受けていたマンが,ニーチェのなかに見たのは,まず自己克服者の姿であり,ショーペンハウアーの哲学に見たのは,世界克服の意志である。死は,深い幸福であって,重大な過誤の訂正である。死は,新たな生のための自己克服なのである。ブデンブローク商会は,美の女神に譬えられたコンズル夫人の息子のトーマスの時代になって,次第に下り坂になってくる。その息子のハノオが生まれたものの,当主トーマスの健康はおもわしくなく,彼の総ての力は衰えてくる。強められたものはただ一つ,すべてがもう永続きはせず,死が間近かに迫っているという確信だけだった。こうした心理に落ち込んだトーマスをとらえたのが,ショーペンハウアーの書で,彼は,死を次のように理解するのである。
死とは何か?その答は,貧しいいやに勿体ぶった言葉としては来なかった,彼はそれを感じ取り,心の底で掴んだ。死は深い深い幸福であって,今みたいな祝福された瞬間にのみ見極めることの出来るものだった。死は言葉では表わせない痛ましい彷徨からの帰着,重大な過誤の訂正,最も厭うべき繋縛と制約からの解放であり──それはある悲しむべき不幸を補正するものだった。(Bd.I,S.656)
「ブデンブローク家の人々」のなかで,海と音楽にからませている死のモティーフには,世界克服の精神が秘められているのである。死は,人間の当然帰りつくべき世界で,すべてが訂正され,再び人間の新しい生を宿すところである。それは,しばらくは離れ去って いたが,再び戻るべき人間の故郷ともいえるところである。トラーヴェミュンデの海とワーグナーの音楽は,マンの幼少時代の故郷であるが,ブデンブロークの 憧れる死は,人間の故郷なのである。
「ブデンブローク家の人々」で,故郷の問題を,さまざまな視点から,時代的にも深く追求しているマンは,1900年に,この作品を書きあげると,その翌年に,ドイツの代表的神話であるファウスト伝説に取りかかろうとして,日記に3行の腹案を書いている。(Die Entstehung des Doktor Faustus,Bd.XI,S.155)もっとも,ファウスト物語は,ずっと後になって,1947年に完成を見
るのであるが,すでに1924年の「魔の山」のなかに,イローニッシュな意味で,ゲーテのファウストかしばしば引用されている。その後のマンの最大の長編である「ヨーゼフとその兄弟達」では,ヘブライの神話が取りあげられている。マンが神話に目をつけたのは,ワーグナーが好んでその楽劇に取りあげたのと同じように,神話を心理と結びつけながら,現代的解釈をして,ヨーロッパ近代の自己克服を試みているのである。近代の科学の進歩はすぱらしく,物質文明はますます多彩に豊かになってきたが,精神文明は,不毛に落ち入り没落の道をたどるに任せている。この世界を克服する拠所として,神話が重要なのである。人類の心の故郷が秘められた神話である。「ブデンブローク家の人々」の故郷は,その後の作品において,深められ,拡げられ,人類の間題として,神話と結びつ
いているのである。トーマス・マンの故郷は,近代を救済するために,新しい生命を吹き込まれているのである。
(テキストは,Gesammelte Werke in zwolf Banden,S,Fisher ∨erlag 1960を引用し,「ブデンブローク家の人々」の引用は,成瀬無極氏の訳による。1967年7月。)