V俳句とことば

 3 俳句のリズム/高橋信之

 

 詩の言葉を日常語と区別し、特性を明らかにするものに、シンボルと

イロニーがあり、またその具体的なものとしては、言葉の比喩とイメージ

である。巧みな比喩と豊かなイメージが高級な抒情詩を作りあげているの

である。ヨーロッパの抒情詩の影響を深く受けている日本の現代詩でも、

詩語のイメージを、リズムよりも重視している。日本の俳句が、欧米では

まず、イマジストのグループに受け入れられ、翻訳された俳句のイメージ

に驚嘆したのと事情が似通っているようである。抒情詩とか、俳句とかを

問わず、他国語に翻訳された詩には、まず、そのイメージに驚かされるの

である。一方、言葉のリズムは、他国語には全くといってよいほど翻訳す

ることができない。言葉のリズムは、言葉のイメージよりも厄介なもので

ある。

 世界の最短詩である俳句の形式は、五・七・五と切れる十七字音定型で

ある、と考えるのが一般的である。高浜虚子の『俳句読本』では、「俳句

は五七五、即ち十七字といふことが型の上では鉄則となってゐます。その

十七字といふのは五七五の三つから成り立っておりまして、矢張り立派な

律語であり、韻文であり、詩であるのであります。」と規定されている。

具体例で示すと、

   五音  七音    五音

  古池や・蛙飛びこむ・水の音 

ということなのである。五・七・五の区切れと意味の区切れとが全く一致

している。

 ところが、今日のリズム論を考えると、はたして十七字音定型が詩型の

鉄則となり得るかは、はなはだ疑問である。西垣脩は、そこをするどく分

析し、「今日では定型の概念は、もはや単純に杓子定規なものでなく、現代

の詩の器としての弾力性をもつようになっている。」(明治書院『俳句講座』

9)と指摘している。さらに、土居光知氏の「音歩説」と林原耒井の「俳句

音律論講話」の研究成果に従って、「俳句の定型とは、四音歩三分節の十二

音歩より成るもの」という結論を引き出している。「音歩」とは、英語のfoot

 (ドイツ語ではFuβ)の訳語で、「韻脚」ともいわれる詩学の用語であり、

それが、詩のリズムを構成する要素であって、日本語のうちに内在するリ

ズムの基礎であることが、土居光知氏により明らかにされた。角川書店の

『現代俳句辞典』の「リズム」の項で述べられている宮津昭彦氏の説明は、

音歩説によるもので、音歩説が何であるかを簡潔に教えてくれる。

 

  俳句は、五・七・五、十七音を定型とするが、リズムを構成する単位

は、 音歩とされる。音歩は二音または一音からなり、日本語としてこれ

以上こまかく分けることはできない単位である。この音歩の反復進行がリ

ズムを生み 出す。また音歩は一音の音歩も、二音の音歩も、発声に等し

い時間を持つと され、さらに五・七・五の三つの分節も停音を加えるこ

とにより、いずれも 四音歩からなる等しい時間を持つとされる。具体的

に、作品に即していえば、

  ハル      タカネ ミコン

  春すでに高嶺未婚のつばくらめ   龍太

  2210/2122/2210

 

   ジョヤ  ツマハクチョウ    ユアミ

   除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり   澄雄

  2120/2212/2120

  となり、五・七・五、十七音定型のリズムは、

 

  2120   2221    2120

         2212

  2210   2122    2210

 

 の組み合わせからなると分析できるが、実作は字余り、破調を加えて、

リズムの組み合わせは複雑な諸相を呈している。

 

 「音歩説」は、俳句のリズムの分析を深く掘り下げ、俳句の定型に弾力性を

もたせることに成功し、日本語詩歌のリズム形式論の中での最も有力な説とな

ったのである。だが、十七字音定型以上の厄介な問題を抱え込み、解決できな

いままの状態が続いている。岩波の「文学」誌上での音歩説についての意見の

やりとりは、その問題点を明らかにしてくれる。それは、昭和五十三年二月号

に載った寺杣雅人氏の「等時音律説試論」であり、それを受けて書かれた七月

号の坂野信彦氏の「音律論の基本」と土居光知氏の「明治時代新詩の詩形」であ

る。(「比較俳句論序説」高橋信之著(昭和55年)より/未完)