若い人たちの俳句について

高橋信之

                      
 ゲーテの評論集に「若い詩人たちのために」という文があり、トーマス・マ ンの時事論に「日本のある青年に」という文がある。いずれも若い人たち、これ からの成長が有望な若い人たちに、励ましを与えるもので、これは、ゲーテやマ ンの詩と人生に対する揺るぎのない姿勢によるものであろう。 リルケの随想に 「若い詩人について」がある。人生に踏み入って間もない人間に、精神のごくあ りふれた言い回しをこれから学ぼうという人間に、リルケは深い理解を示してい る。「今ここで私たちの身近にいる少年、つぶらな眼を見張ってしかも私たちを 見ているのではないその少年」の心を、ある烈しい力が襲って、凝集している。 「詩人を詩人たらしめている本質的な力」である。少年の心の中に、この巨人た ちが登場すると、「あれよと言う間もなく、すべての努力、熱意、活動が打ち倒 されてしまう」。そして少年は「家族の批判の的」となり、「両親には、彼が将 来どうなるのかわからない。教師たちは、彼の不満をかぎつけたつもりでいる。 」しかし偉大な詩が生まれるのは、突如としてである。「突如として、一つの目 立たない小さな出来事が、彼の怖るべき境遇の上に、清らかにみなぎり溢れる。 この瞬間、無限の責任を重くになった彼の心が片方の皿に載っている。その秤の もう一つの皿に、荘厳なしずけさを保つ同じ重さのものが、偉大な詩が、載せら れる。」若い詩人たちと時代との関わりについてもリルケは暖かい理解を示して いる。「この時代がまた同時に、果敢な若者たちが、彼らの至純な内面的真実を 、それと全く等価の眼に見える存在へと、しだいにきずき上げてゆくことができ るように、全く思いもかけなかった手段を彼らに提供していることを、私は、た しかに認めようと思う。」 日本の近代俳句は、正岡子規に始まるが、それは、 若い人たちの俳句であった。一高・東大の学生たちの俳句である。子規は、明治 二十五年の「日本」新聞に「獺祭書屋俳話」を連載、俳句革新運動の狼煙をあげ た。まだ東大の学生で、社会人ではなかった。二十五歳の若い俳人であった。子 規の『寒山落木』巻一は、東京大学予備門(一高)入学の翌年の明治十八年から 東京大学退学の前年の明治二十五年までの俳句が収録されている。十八歳から二 十五歳までの八年間の俳句である。それらは、「月にえをさしたらばよき團(う ちわ)哉」などという月並俳句とは違って、実に新鮮である。その中には子規生 涯の代表句もある。 

 一重づゝ一重つゝ散れ八重桜(十八歳)    
 むら鳥のさわぐ處や初櫻(十九歳)    
 くらがりの天地にひヾく花火哉(二十歳)    
 五月雨の晴間や屋根を直す音(二十一歳)    
 菜の花やはつとあかるき町はつれ(二十二歳)   
 梅の花白きをもってはじめとす(二十四歳)    
 松山や秋より高き天守閣(二十四歳)    
 若鮎の二手になりて上りけり(二十四歳)    
 おしあふてくる萍や五月晴(二十四歳)    
 大空の真ッたヾ中やけふの月(二十五歳) 

 昭和の前半は戦争の時代で、日本が不幸であったとみてよいが、この時代に 作られた俳句に見落としてはならない素晴らしい秀句がある。中村草田男、石田 波郷、加藤秋邨、篠原梵といった若き俳人たちによって作られたものである。  篠原梵は、明治四十三年生まれで、愛媛大学の前身である旧制松山高校出身の俳 人であった。「近代的で斬新なリズム」を編み出したことで世に知られ、昭和十 六年に発行された句集『皿』は、梵三十一歳までの若き日々の作品が収録されて いるが、彼の代表句の多くは、この句集にある。 

 宵寒の背中を吾子のつたひあるく 
 鳳凰の清(すず)しき音の近づきぬ 
 水底にあるわが影に潜りちかづく 
 コーヒーの氷のかけら音すなり 
 聞くうちに蝉は頭蓋の内に居る 
 扇風機止まり醜き機械となれり 
 潅仏の肩がかわくにいくたびも 
 葉桜の中の無数の空さわぐ 
 寒三日月目もて一抉りして見捨てつ

 旧制松山高校の松高俳句会は、川本臥風が創め、指導していたが、その教え 子の中の俳人に、篠原梵と並んで西垣脩がいることを忘れてはならないだろう。 西垣脩は、大正八年生まれで、詩人伊東静雄のところから出発した。明治大学教 授で詩人であったので、並みの俳人とは違って、精神が自由で、句は清冽である 。十・二十代の作品の中から秀句を拾い出すと 

 さはやかに空映しつつ眼鏡拭く 
 どの窓も麦畑のある部屋借りし 
 こはるびのこころはろけきことばかり 
 麦笛を吹き帰城せり皆死なず 
 花樗窓開け放ち書に倦まず 
 鶏頭のいのちいちづに燃えもはてむ 
 梨をむくナイフに空の青去らず 
 風吹くことの多きかたより蓮枯れぬ 
 扉に立てば冬日のにほひ肩にあり 
 夜の秋は児のてのひらに白う見ゆ

 松高俳句会の後身である愛大俳句会のさまざまな場での活躍にも目覚ましい ものがある。子規顕彰第二回全国俳句松山大会での金賞をまず取り上げたい。昭 和四三年三月の大会で、渡辺公文が石田波郷選の金賞を受賞した。   

 双眼鏡の中冷たき沖が犇めける
 また、昭和五二年の全国大会では、吉田謙一が中村草田男選の特選となった 。 

 母の文いつも速達雁わたる

 日本学生俳句協会の全国学生俳句大会(審査総括金子兜太)では、第一回大 会(昭和四五年度)の準大賞を徳永美枝子(旧制宮内)が受賞 

 髪を梳いている京の朝の暗がり

 第二二回大会(平成三年度)の大賞(現代俳句協会賞)を吉盛一也が受賞し た。 

 春雷に閃く闇のレンブラント

 いずれも現役の学生時代の受賞である。 ここで、現在の愛媛大学の学生た ち(十・二十代)の俳句を紹介しておこう。 

 でくのぼう入道雲を見上げたり           有吉 孝史  
 草笛を吹けば小さな蝶が舞う            森竹 智則  
 月満ちて銀の道引くかたつむり           長谷川美由紀 
 ゆすらの実赤い絵具を散らすごとく         足立 眞弓  
 紅白のばらが絡まるミュンスター          三山 貴子  
 夕涼み八角の影とどくところ            高岡 達也  
 交差点前の車に残る雪               小村 哲功 
 黒板の陰画のごとし冬日の低さ           高橋 朋央 
 張り詰めた空気のなかで弓を引く          松村さを里 
 土つけている大根のたくましさ           山崎  淳
 愛大俳句会出身のなかで、今もなお活躍していて「水煙」に句を寄せている のは、井上ミツ(旧姓玉井)、高橋正子(旧姓遠部)そして脇坂公司である。彼 らの学生時代の秀句を拾い上げると 

 朝桜鮮魚のトラック電車と並み           井上 ミツ 
 秋の畳ロボット片手あげしまま    
 新米にふくらむかます夕日に並び    
 松刈られ梯子の元を松葉でうめ    
 雛飾り裏のポンプのきしる音       

 雪柳の自由な茎と空気と触れ            高橋 正子 
 みずひき草の朱が試験期の図書館に 
 秋水湧く波紋をそのまま手にすくう 
 底冷えや缶にて浮動パイナップル 
 コーヒーの匙上向いてすぐ冷ゆる 

 なずな湯に友と入りて明日を語る          脇坂 公司 
 送別会友春雨に濡れ来たる 
 梅雨の中眼鏡拭き拭き二十歳
 鋭角に地下に人消ゆ梅雨の街 
 齧りかけの柿をポーンと青空へ

 松高俳句から愛大俳句へと若い人たちの俳句は確実に育っている。これは、 大正八年の旧制松山高校創設以来あった「自由の校風」によるところが大きいと 思われる。過去の権威の押し付けでは俳句は育たない。「自由の気風」のなかで こそ、若い人たちの新しい俳句は生まれ、育つことができるのである。 若い人 たちには、ゲーテのつぎの詩句を贈って、この文を結ばせていただく。 

 若いひとよ!
 精神も感覚もおのずと 
 高まる若き日のうちに悟ってください 
 ミューズの女神は、同伴をこそこのめ 
 指導のすべは、こころえのないことを


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