更新:2000年7月23日
あっくんのホームページ


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吉田 晃
愛媛県広見町在住/俳句雑誌「水煙」同人
akkun-yj@shikoku.ne.jp



[俳句鑑賞/高橋信之ほか][晃さんの俳句を読む/高橋正子]
[作品10句][俳誌水煙掲載作品][俳句と私/吉田晃]

 
作品10句


下校児を丸く包んで春茜

ふるさとの野の菜の花を巣立つ子へ

皮置いて筍掘りの帰りけり

ざっくりと掘られ筍匂い立つ

挙手の手の明るく動く更衣

茄子をもむ塩の白さの消えるまで

父の影大きく海の夕焼ける

満月の河口の村を青くせり

月青き村を黙して影行けり

まっすぐにまっすぐに落ちてくる雪

  


俳句鑑賞/高橋信之


[その一]

 吉田晃さんは、 久万中学校 の教頭先生である。松山から高知へと抜ける国道33号線沿いの高原の町の学校に単身赴任で来ておられる。

 春の酒むかし単身赴任の父

 晃さんの俳句は、学校という生活の場の中から生まれたもので、そこに基盤を持つ強さが魅力である。

 下校児を丸く包んで春茜
 廊下拭く子の手の赤し寒の水

 教え子達を「丸く包んで」いるのは、教育者としての優しさであるが、この優しさは、教育者としての強さからよってきたものに違いない。

 湯気に曇る窓にまあるく朧月
 まっすぐにまっすぐに雪の落ちてくる

 「まあるく」と「まっすぐに」という言葉からも、晃さんの教育者としての姿勢を伺い知ることができる。

 かあちゃんと叫びたい今日の月おぼろ
 春の月我は昔の子となりて

 晃さんの教育の原点、そして俳句の原点は、この子ども心にある。教師や親ともなれば、子ども心を持つということは、 難問中の難問であろう。芭蕉は、「俳諧は三尺の童にさせよ」といった。教育も俳句も、子ども心を失ってしまっては、 真実の姿が見えてこない。芭蕉はまた、「高く心を悟りて俗に帰るべし」とも言ったが、大人の立場にあって、子ども心 に帰るのである。これを晃さんは俳句で実践している。

[その二]

急須より新茶の香りをつぎわける

とてもいい俳句ですね。日常のありふれた生活の一齣ですが、 「香りをつぎわける」という表現は、出来るようで、なかなか 出来ないものです。表現は平明ですが、作者の思いは、すべて 言い切っています。付け加える言葉は、他にはなにも入りませ ん。「わける」ということは、素晴らしい行為です。日本人の 優しい心です。

挙手の手の明るく動く更衣

季節の喜びをうまく表現しました。

夏の風キャンパスにさっと薄くぬる

「さっと薄く」が決め手となりましたね。晃さんの体験と感動を共にする喜び。 

ふる里の嶺の蒼きを描きけり

作者の思いを言い切った句。切れ字の「けり」が効きましたね。「蒼き」は、ものの本源を表現するのに相応しい言葉。 俳句は、日本の心のふる里です。

新ジャガですかと足を止めて鍬をのぞく

日常をいきいきと描くには、口語表現が合いますね。

梅雨晴れへ声飛ぶ窓の全開に

学校が生き生きしていますね。子ども達の活発な動きが見えてきます。 子ども達が元気のない民族には、未来がありません。日本にこのような 学校のあることは、とても嬉しいことです。そして、俳句がそのための お手伝いをするのも、とても嬉しいことです。

大きな顔大きな紫陽花画用紙に

限られた画用紙、限られた俳句に、大きな世界を描いて、これが日本の心です。

五月闇父と歩いた声がする

現実よりも真実の大切さを教えてくれます。これが文学の強みです。 人生の手本とする[父]の存在は、とてもありがたいことです。 いま、[父]の精神が求められている日本の社会です。

睡蓮の白咲くときをゆっくりと

平明な俳句ですが、とてもレベルの高いものです。 レベルの高い読者は「時間」と「空間」を理解します。 レベルの低い読者は理解しませんね。

我が背の低ければ木犀の匂い濃き

俳句を知ってこられましたね。リズムもしっかりしています。

一瞬に調子を変えし秋の雷

「一瞬」と「変えし」を畳み掛けたところが、いかにも「秋」になったという気配を 感じさせてくれます。運動会が終わり、秋祭が終わると、一年の終わりに向かって、 時間は、どんどん走っていきます。

[その三]

次々と雲来て青嶺ゆるぎなき

「青嶺」の夏は、ゆるぎなき活動の季節であり、「ゆるぎ なき」ものは、作者の願いでもあろう。

皮置いて筍掘りの帰りけり

筍の「皮」に焦点が絞られた。俳味がある。

ざっくりと掘られ筍匂い立つ

勢いがある。いのちの勢いである。

梅雨空と海をまとめて湾の朝

私の好きな句。単純な写生だが、骨太で、内面の強さを 感じさせる。

手にふれてつやつや光る麦を刈る

農作業は、多くの日本人の原風景であろうと思い、大切にし たいものである。体験したいものである。

手を振りて春夕焼けの子の家路

児童生徒に向けられている教師の視線がいい。心温まる風景。

ふるさとの野の菜の花を巣立つ子へ

卒業と菜の花、いいイメージですね。きらびやかなところが無く、 明るい未来があります。 

今年子を包んで燕南へ帰る

子どもに読んで聞かせたい俳句です。子どものために作った大人の詩は、たくさんありますが、 子どものために作った大人の俳句は、皆無と言ってよいほどです。


■一句鑑賞■

地下道のぼる四角い空の青い冬

現職の頃、よく仰いだ地下道の四角い空、青い冬とは脱帽です。(野上哲斉)

茄子をもむ塩の白さの消えるまで

茄子の紺と塩の白、相互に関わり合うことによって互いの 色をより強く引き出していると思います。また、塩の白さ が消えるまでもむ手の表情に、動きと色のよく見える句だ と思います。(藤田洋子)

水を吸う強さコップの梅開く

楚々として、そしてどこかに自分をみることが出来そうで。心に忘れたくな いひとつです。(相原弘子)

母の背の春の光を見て歩く

母の背は、子供にとっていつも優しく包んでくれる春の暖かさなのでしょう か。(福田由平)


俳句と私

 私が俳句を始めたのは、職業上の理由からです。理由はいくつかありますが、その一つ は、「子どもたちの力を大きな場で試すことにより、自らの思考に自信を持つようになり、 たくましく生きる力が身に付くだろう」ということです。学校という狭い社会の 中だけでの評価は、たくましく生きるための基礎にはなると思いますが、応用にはなら ず、身にはつきにくい欠点があると考えたからです。子どもたちの詠んだ俳句を、新聞やイ ンターネットに発表したり、学校から出す文書の時候のあいさつに使ったりする事で、大 人の社会の中で評価されますから、「生きて働く力」をつけることができると考えます。

 二つ目は、自分の気持ちを省略した言葉でしか伝えることができない子どもた ちが増えていると考えたとき、心の問題がうかび上がってきます。微妙な感情を適切な言 葉で他人に伝える意思伝達機能として言葉がここまで発達してきたのは、とりもなおさず 人間関係が大切であったからです。以前に比べ、子どもたちに多くのトラブルが発生し、 それを自らの手で解決できなかったり、先に大声を出した方が勝ちだという風潮が強いの は、話せない人間が増えているのではないかと思うのです。自分の心の動きを適切な言葉 で表現できることは、人の気持ちを理解できることにつながるのではないかと考えたので す。俳句を詠むにはしっかり見て、しっかり自分の気持ちをつかまねばなりませんか ら、いろいろな心を育てることができると考えました。郷土を愛する心、自然に対する畏 敬の念、命あるものを大切にする心、他人をいたわる心、親や年寄りを大切にする心等々。

 三つ目は、目の前にある現実を正しく捉え、適切に評価・判断できる力を身に つけることができるのではないかということです。これが、物事の本質を見抜く力につな がってくれればいいと、虫のいいことを考えています。

 挙げればきりがないほど多くの成果を期待して俳句を始めたわけですが、少し ずつ成果が出ていると自己満足しています。しかし、何よりも一番勉強になっているのは私 ではないかと思います。生徒の俳句を選句したり添削したりする作業を通して、子どもたち の心の動きを知ることができるのです。俳句を子どもたちに指導することによって、子ども たちから教えられることの何と多いことか!子どもの成長をと考えて始めた俳句ですが、私 が一番勉強をさせてもらっているようです。(1998年4月/吉田 晃)

 麦を踏む祖母のあとから僕も踏む   生徒作品


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