俳句と私/古田けいじ

岐阜の田舎の中学校の時、一学年1クラス30人未満のちっちゃな学校で全校俳句大会みたいなものがあって、投稿し運良く入選したのが俳句との初めての出会いでした。中学校の玄関脇に咲いていた石楠花に雨が降っているのを見て詠んだその時の句を今でも覚えています。 40数年も前の事なので他の事は何も覚えていないのにこの句だけはちゃんと覚えています。俳句の不思議な力なのでしょうか。最近では時折、日記に俳句を書き付けたりする事があるくらいでまとめて作るような事はありませんでした。

昨年夏、大学の学生寮で一緒だった悪友夫婦6組で銀婚式記念のイタリア、スイスを旅行したのですが、行く前に、故江国滋氏がイタリア旅行の時に詠んだ俳句とエッセイの本を読み、戯れにみんなで俳句や短歌でも詠んでみようと言うことになり、思い付くままに皆で詠んだのが百数十句(首)になり、参加者の紀行文集を作って其の中に掲載しました。季語も無く五,七,五にはなっているだけのものもあり、到底俳句とは呼べないものが多かったのですが、それを読むと、その時々の風景や出会った人、ハプニングなどが浮かんできて今読んでもとても面白いのです。

今年の1月末、「インターネット俳句センター」の存在を知りました。軽い気持ちで投稿したところ、高橋先生に丁寧なコメントを返してもらい感激してしまい、虜になったみたいに下手な俳句を詠むようになりました。図書館へ行って俳句の関係の書籍を探し出して読んだり、歳時記を通勤の時忘れずに持って歩き、地下鉄で開くという毎日が続いています。皆さんの投句を読むのが毎日の楽しみになっています。花を見たり、山や川を見たり、人に出会ったり、家族や死んでしまった父母のことを考えたり、故郷の事、住んでいる町や家の周りを見て、小さくても感動した時ふっと句が浮かんできます。

皆さんの句を読んだり先生のコメントを読んだりする時、こんなところにも感動できる事があるんだと、目から鱗が落ちる感じです。久万中学校の皆さんが俳句に取り組んでおられるのを読み、とってもすばらしいと思いますし、信念を持ってこういうご指導をされている先生のいる学校では「ナイフ事件」とか「キレる」とかいった言葉は出てくる余地が無いのではないでしょうか。(そんな単純な問題ではないでしょうが)60歳近くになって、もっと早くから俳句に出会っておけばと残念に思っている小生ですが、中学校の時から俳句に出会っている久万中学の皆さんはきっとすばらしい歌が詠め、人のことを思いやる事の出来る心の持ち主になれるんだろうなと嬉しくなってしまいます。

私にとって俳句は健康な精神と健康な肉体の一つのバロメーターになっています。俳句を続ける事で各地の皆さんと出会えるし、自分の身の回りの、今まで気が附かなかった感動できる事柄に出会う事ができるのだと思います。自分の周りの人や自然に対し優しい心と気持ちを持ちつづけ、それらから新しい感動を貰うためにもるためにも、下手でもよい、細く永く続けてまいりたいと思います。皆さんのご指導をお願いしたいと思います。(1998.5.18.)


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