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原 順子 |
不安定だった天候も爽やかに晴れ渡り、少し冷えを覚える風 に緊張が走ります。前日に求めて置いた切花も丁度良い開き加 減となり、遠路お越しになる皆様に心地よい気分でお過ごし戴 ける事を胸に、八時五十分芭蕉記念館に到着。実は、先生より 会場係は千葉の琴さんと二人で担当するようにとの連絡を受け ていました。 受付で会場使用上の注意を伺ってから届いていた先生からの 荷物を二人で開き、会場のセッティングに取り掛かりました。 黙々と作業をしていると伊嶋さんが「夜の担当です、よろしく 。」と元気良く入って来られました。皆様も三々五々集まって こられ、正子先生からのお菓子とお茶をお勧めしている頃、松 山の皆様がご到着、奥様よりお声をかけられて、やっと一安心 、落着いて参りました。一昨年上野で水煙東京句会に参加した とき、初対面のお互いが句を作り、選び、発表する座の持つ意 味を初めて知った喜びや感動が思い出されます。 今回は来賓の先生方をはじめ、インターネットで知り合った 方や一昨年来久々にお逢いできた方々、総勢四十名近い参加者 をお迎えする事ができました。午後一時から開会と云うことで 、それまでに昼食を済ませ、投句二句を用意することになり、 板橋の北村勇治さんから届けられた「焼トリ」を頂戴し乍ら開 式を待ちます。 開会、伊嶋高男さんと日野正人さんの司会により来賓挨拶、 信岡資生成城大学名誉教授、水野あきら日本学生俳句協会事務 局長、続いて第九回インターネット俳句コンテスト授賞式、菊 池徳英四国インターネット社長より授与、式次第の文字は信岡 芳子様の筆に依る由。十二年度水煙各賞の第十七回水煙賞、第 二回橘俳句賞等々式次第は進み、記念講演は、岡本栄一川村学 園女子大学教授とプログラム通りに大会は運ばれ、要所要所で 古田けいじさんのシャッター音が響いて居りました。全て盛会 裡に運営されて、世界学会発表のような内容の高い講演や素晴 らしい講評に、全員感動の面持で懇親会の会場である深川の「 みやこ」へ移動しました。 全員揃ったところで夜の部の開幕です。霧野萬地郎さんの司 会によりビールで乾杯、南から愛媛久万の日野正人さんが、北 からは盛岡の守屋光雅さんが地域の紹介や挨拶を、松山の野上 哲斉さんは謡曲「高砂」を、名古屋の古田けいじさんは郡上音 頭、霧野萬地郎さんのスワヒリ語の歌、水野あきらさんは正子 先生と藤田洋子さんと久保維季子さんをお誘いになって「荒城 の月」を歌われ、古田けいじさんの指揮で全員参加の、「ふる さと」、「花」の合唱など楽しい時間は、浅蜊飯と共にアッと 云う間に過ぎて夜の部は閉会となりました。 一泊の方々は夜の隅田川界隈を作句し乍ら歩いてホテルへ。 各自部屋に落ち着いて後、高橋先生のお部屋へ堀佐夜子さんも ご一緒に全員集合又も句会。五句ずつの提出で互選に入る。お 国自慢の地酒を呑み比べてほろり、各地の銘菓でお茶を戴き乍 ら、のんびりと尚かつ充実した時間が流れます。一日に二度も 句会したり選んだり、目の廻るような思いでしたが、とても勉 強になり俳句の楽しみ方を垣間見たような気がしました。選句 や講演の内容について「素晴らしかった」とか「高度な内容乍 ら理解出来る」とか話に花が咲いて楽しい時間は短いもので午 前一時を過ぎようとする時刻と成り一旦お開きにして次の日程 の為に疲れを癒すことに致しました。 三十日、晴れた青空にうっすらと雲が広がり歩くには絶好の 天気です。朝食を各自で済まされた方々から清澄庭園の散策へ 、私共は一番後からホテルを出て先生御夫妻、弘子さん、琴さ ん、渡辺一史さん京子さん夫妻達七名で道々を塩大福を求めた り玩具やお菓子、浅蜊の佃煮など、情緒に浸り乍ら深川江戸資 料館に到着。館内は端午の節句の佇まいで江戸時代の町人の生 活を見学、皆さんの作句スタイルも色々で、舟宿に上がり込む 人、長屋や舫舟のある水辺、食物ヤ(たべものや)の腰掛で句 帳とニラメッコ、昼食は資料館近くのそば屋で準備中を待って から入り、おそばを待つ間に選句する慌しさ、おそばは美味で した。此処でけいじさんから質問「盛そばとざるそばの違いは ?」「大盛と注文したら盛りそばの大盛」が来た。希望は「ざ るの大盛」だったとの由。違いと云えば海苔の有る無しのみで すが値段も少々違います。「大ざる」で納得、疑問は解けまし た。 中国の故事に「鷄棲鳳凰食す」と云う言葉があります。王も 庶民も共にといったところでしょうか。おそばやさんで高橋先 生の恩師信岡先生御夫妻も御一緒に江戸好みのそばを食し、句 を選び、みんなと同じ目線に肩を並べて下さる高橋先生御夫妻 の御心を大切にしてまいりたいと思いました。花水木の街路樹 の道をホテルにへ戻り、ロビーで塩大福を戴き、一休みの後、 解散。それぞれの方角に又お逢い出来る事を願い乍らお別れで す。 松山行の飛行予定時間には少し間が有ると云う事で、浅草を 御案内することに成り、雷門へ直行。仲見世通りを金龍山浅草 寺へ人混にに揉まれ乍ら往復し、入口の大提灯の近くで扇屋に 入り、買い物、一昨年も同じ光景をでした。お面を求めた店、 夏扇を求められた八木さんや徳永さんの事が、その時の様子等 、正子先生にお話している内に時間も迫り、銀座線で上野に向 かい、山手線の秋葉原でお名残を惜しみ乍ら、帰路の御無事を 祈念しつつお別れ致しました。 創刊より二百号と一と口に申しますが、忘れられない苦痛の 時期を無事乗り越えられた故の今日と思いますと、感慨深いも のがあります。昭和六十二年七月号に先生のご入院、手術時の 御心境が記されています。お元気なお姿に接し慶ばしく思いま すのは私のみでは無いと存じます。この記念すべき大会の会場 係として御用をお与え下さいました温かい御配慮に感謝申し上 げますと共に、水面下での先生方の御苦労の一端を伺い知る事 が出来ましたこと、誠に良い勉強をさせて戴きました。 終わりに成りましたが、「水煙」の今後の発展の為にも、信 之先生、正子先生の御健康を心よりお祈り申し上げて、拙い文 章ですが締め括らせていただきます。